強さとは?勝つために必要な事とは?

「強さ」とは何か?

「勝つために必要な準備や心がまえ」とは何か?

「本物の勝負師だけが知る「負けない」と「勝つ」の決定的違い」PRESIDENT BOOKS…桜井 章一より、要約。

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強さには2種類ある。
“見せかけの強さ”と“ホンモノの強さ”だ。

見せかけの強さは前のめりになって勝ちを急ぎ、調子の波が激しいが、ホンモノの強さは悠然として負けることがない。
見せかけの強さは、見渡せばそこらじゅうにあるが、ホンモノの強さはそうめったにお目にかかれない。

では、ホンモノの強さとは何なのか?

知り得た1つの法則がある。

負けの99%は自滅ということだ。

こちらが何もしていないのに、相手が勝手に墓穴を掘り、目の前で音もなく崩れていく。
そんな光景を私は嫌というほど見てきた。

 

自滅するのは、簡単にいってしまえば“負けない本能”が欠けているからである。

逆にいえば、自滅などしないホンモノの強さを身につけるには、頭で計算したテクニックと負けない本能の違いがどこにあるのかを知ることから始めなくてはいけない。
勝つためのテクニックをいくら磨いたところで、負けない強さはそこからはけっして生まれてこない。

「負けない」と「勝つ」はまったく違う

勝負や人生に対するこの2つの姿勢は、結果的には同じことを意味していても、本質においてはまったく別物である。

たとえば、「強さ」という点に関しては、最終的に「負けない」のほうが「勝つ」よりも勝っている。
「勝ちたい」という気持ちは、根底に「脆もろさ」を抱えているからだ。

「勝ちたい」という気持ちは、欲望と同じで限度がない。

限度がないから、それを達成するために汚いこと、ずるいことなどにも目をつむってしてしまう。勝者の裏側には必ず敗者がいるものだが、そうした敗者の存在や状態には目もくれず、勝てそうとなれば際限なく相手を叩きのめすようなやり方をしてしまう。

もう一方の「負けない」という気持ちは、人間の素の部分、本能に近いところにある

負けなければいいわけだから、限度をわきまえており、相手をとことん追い込む必要もない。相手がちょっと弱ればおしまいとか、自分に必要なものが得られればそれで十分、という終わらせ方ができる。

つまり、「負けない」という気持ちには、「もうこれでいい」という満足感、納得感がある。

ひるがえって「勝ちたい」という気持ちには、欲望と同じでどこまでいっても満足というものがない。

満足がないゆえに常に不安を抱え、心から幸せな気持ちになることはない。
そこから綻ほころびや脆さが生じてくるのである。

自然界の生き物はみな、熾烈しれつな生存競争の中でどうやって生き残るかという本能のレベルで生きている。彼らには当然「勝ちたい」という欲望はない。あるのは、敵や環境に対して「負けない」という本能だけである。

もし、彼らに「勝ちたい」という欲望があったとすれば、捕食する獲物がいなくなるだろう。
それを捕まえて生きている生物が死に絶えると、多様性によって成り立っている自然界の秩序が根底から崩され、地上から生命を持った生き物はなくなってしまうだろう。

しかし、人間は自分たちの社会でこれをやってしまっている。
自然界の生き物を例にするとよくわかるが、みながみな「勝ちたい」という欲望で生きていけば、環境問題をはじめ、そこにさまざまな問題が生じるのはきわめて当たり前の話なのである。

私は、「勝ちたい」という気持ちを否定しているわけではない。

「勝ちたい」と思うのは一種の人間の業でもある。
これはどんな人でも抱いてしまう感情だ。
とくに若いときはそのようなエネルギーであふれているものだ。

ただ、「勝つ」ことにこだわりすぎたり、勝たなければ生きる意味がないかのように考えたりすると、マイナス面が大きくなってしまう。ゆえに「勝つ」ことには節度が必要だ。

そのためには「勝つ」より「負けない」という感覚を持つことが大切であり、それが本当の強さに近づける道である。

「勝つ」というのは、何かを得ることだ。
勝利とともにもたらされるのは、お金や出世、名誉や評価だったりする。
しかし、自然の摂理からいえば、得たものは失う定めにある。寄せる波は必ず引くのだ。

仕事や人生において自分が「勝つ」ことばかりに囚とらわれた人は、利己的な振る舞いがすぎて周りからの信頼を失うことだってあるだろう。

得たお金を目当てに人が寄ってきて、それに気づいたときに深い孤独を味わうこともあるだろう。勝つためにエネルギーを使いすぎて、家族や友人と一緒に過ごすべき大切な時間を失っていることもあるだろう。

こうして、「勝つ」こと以上に、人は大事な何かを気づかないうちに失っていたりするものなのだ。

「勝つ」ことに囚われすぎることで生じるマイナスは、おそらく本人が思っている以上に大きなものだ。

一方、「負けない」という姿勢には、「勝つ」こととセットとしてある「失う」という感覚が希薄である。

「負けない」姿勢には、満足感と納得感が最低限あればいいという思いがあるからだ。
すなわち、不必要に得ようと思わないから、その裏で何かを失うという感覚をさほど持ちえないのである。

つまり、「勝ちたい」という欲に伴う「得たい」という執着が、「負けない」姿勢においてはあまりない。それゆえ、「負けない」姿勢には失われるものが少ないのである。




しん研良院 奈良県香芝市のカイロプラクティック
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